6基の笠鉾・屋台は、12月3日の秩父神社の例大祭に牽引される。重さは1基が10トン以上あり、屋台ばやしに合わせ、約200人の曳き子によって進み動き、夜には無数のボンボリが取り付けられ、曳き廻す華麗さは、闇夜に一段と映えことから「秩父夜祭」と呼ばれる。
秩父祭の笠鉾・屋台の特徴として、全て組立・解体式であり、釘を使用せず装飾品の取り付け等を麻縄で締結するなど古い工法をとっている。
屋台の特徴は、屋台歌舞伎を上演するため、「廻り舞台」の装置をもち、更に屋台の左右に芸座を付設できる仕組みになっている。
中近笠鉾(なかちかかさぼこ)
所在地:秩父市中村町2569番地1
所有者:中近笠鉾保存委員会
中近笠鉾は、八棟造(やつむねづくり)、三層の花笠、雲形のせき台、万燈にしめをおく鉾と屋台の複合体で屋台笠鉾とも呼ばれる珍しい形式である。
屋形の中央に内室(うちむろ)と呼ばれる内陣風の造作の中に標木(しめぎ)がこの中を通し立てられ、その頂に365枚の紙を12垂れに切り、前面に榊が添えられる。民俗信仰の要素の多いことから、早い年代に建造されたものといわれる。
下郷笠鉾(したごうかさぼこ)
所在地:秩父市滝ノ上町4123番地1
所有者:下郷笠鉾保存会
下郷笠鉾は、腰屋根四方唐破風造(こしやねしほうからはふづくり)、三層の花笠、波形のせき台、万燈の上に天道をおいたもので、中近笠鉾と同様の構造をしている。
6基の内で、もっとも大きく重量もある笠鉾である。文久年間、荒木和泉によって計画された屋形は後年建造されたものである。笠に吊る水引幕は一層が波紋、二層が宋朝風の竜、三層が瑞雲で何れも鮮やかである。
宮地屋台(みやじやたい)
所在地:秩父市中宮地町5090番地
所有者:宮地屋台保存会
宮地屋台は、表2.64m、妻4.29mで名匠藤田大和によって建造されたものと伝えられる。
現在の屋台はほぼ文政年代に修造が行われたものといわれ、各部の構造にも高度の工作技術が見え、装飾彫刻も屋型とよく均整を保ち、秩父祭屋台のうち最も端正な姿をとどめている。歌舞伎舞台の構造も他の屋台と同様。後幕は、猩々酔舞(しょうじょうすいまい)、水引幕は飛鶴の刺繍、縫取りである。
上町屋台(かみまちやたい)
所在地:秩父市上町1262番地2
所有者:上町屋台保存会
上町屋台は、「忍藩割役名主御公用日記」(おしはんわりやくなぬしごこうようにっき)の延享4年(1747)の記述に見られる。表2.64m、妻4.29m、軒の出も多く華麗な屋台である。軒支輪(のきしりん)の雲に遊ぶ鶴の姿態は様々な変化に富み屋台彫刻の逸品といわれる。かつては、谷文晃による墨絵の下げ幕があったという。
牡丹に唐獅子の水引幕、鯉の滝上りの後幕の刺繍も見事なものである。
中町屋台(なかまちやたい)
所在地:秩父市中町8番7号
所有者:中町屋台保存会
中町屋台永代帳の天明5年(1785)の項に「乳隠板、但し唐松=猿猴彫」(現在の後部内破風彫刻)とあり、当時、今日の屋台の規模がほぼ整ったと思われる。屋台の腰軸妻は4.72mあり、他の屋台より大きく重量もある。歌舞伎上演の廻り舞台の機構がすぐれている。天岩戸開の鬼板・懸魚(げぎょ)の彫刻・裏懸魚の波と竜の彫刻は特にすぐれている。この屋台のみ軒が三重垂木である。
本町屋台(もとまちやたい)
所在地:秩父市番場町1番1号
所有者:本町会
本町屋台は、表2.64m、妻4.3mで登勾欄(のぼりこうらん)がなく宮地屋台と共に古式な姿を残している。賑やかな腰組み、屋根まわりの竜の彫刻、唐獅子の軒支輪(のきしりん)、屋根の箱棟の金箔等彫刻や装飾に財力を注いでいる。水引幕は当時江戸随一の縫師玉孫により文政4年(1821)に作られ、後幕は嘉永5年(1852)に作られている。
また、芸座の彫刻は、秩父屋台の中では逸品である。