荒川日野の石棒
所在地:秩父市下宮地町25-29 曹洞宗廣見寺(保管場所)
所有者:個人
石棒とは、縄文時代から弥生時代前期頃まで使用された石製品で、男性器を模した形状から子孫繁栄の儀礼等に用いられていたと考えられている。
この石棒は、点紋を含む緑泥石片岩製で、器体全体が研磨されている。現存長は159.9㎝、胴部径が14.4㎝×13.3㎝を図る楕円形で、一端は最大径12.0㎝の笠形の頭部を有するが、表裏が剥離し、もう一端は欠損している。くびれ近くの胴部には針金とセメントによる補修跡が見られる。
この石棒は、江戸時代から特別な存在として知られており、文化12年(1815)刊行の『武蔵野話』や文政8年(1825)刊行の『新編武蔵風土記稿』、幕末の『秩父志』という代表的な3地誌に図示され、紹介されている。
その最大の特徴は、長大さで、大形石棒の長さが120㎝を超えることは稀である。その条件としては、生産地に地理的に近いこと、水運等により運搬が容易であることが挙げられる。
石材である点紋を含む緑泥石片岩は、近くでは長瀞町野上下郷・矢那瀬に分布することから、同じ秩父地域内での生産・運搬が行われたと推測される。
この石棒は、長い間、荒川日野の個人住宅内に所在していた。同所は縄文時代中期の遺跡(秩父市No.50-13・宮ノ下遺跡)内であり、縄文土器及び石器の破片が採集されているが、石棒が同遺跡から出土したかは不明である。